他人の「子供たちのため」に私の命を犠牲にしたくない

「子供たちのために」

常識的には何かとても善的なる美しい標語とされています。

私も昔は 御多分に洩れず

「子供たちのため」を何の疑問も感じずに良いことと思っていました。

でもこれをある種の「親」が口にするとき

単なるその「親」自身の己の欲望や特別扱いを「子供」を使って実現しようとしているだけなのではと思うようにもなりました。

私は独り身で子供もいないからというのもありますが

大人になってますます

とあるただの男女が自分達の都合で作り出しただけの子供なのに

その子供を使って

ただでさえその人達より苦しい人生を歩んでいる人達から

上から偉そうに 犠牲を強いるようなことを

要求できるなと 思います。

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