「瞑想」が発せられる時「迷走」の意味も込められてないか?

やたらと

一見真面目なスピリチュアル界隈や

優秀なビジネス界隈で

「瞑想しろ」

って言われてて

私もそれを真に受けてた

(魔に受ける が先に変換で出てきたのは これもまた2重の意味なんだろうか?)

 

でも飽き性なんで もちろん続かない

「瞑想」以外の方法でも ”瞑想状態” は作れる気がするし・・・

(断定できないのがね 他人の頭ん中かっぽじって見れないからね)

 

そのうち

「瞑想しろ」が

「迷走しろ」に聞こえてきた

 

本当はこの言葉を発している”優秀な”人たちは

いわゆる ”羊” に

「迷走」していて欲しいんじゃないだろうか

 

実際 スピ系って 終わりが無い

はっきりした答えが無い

まさに 迷走し始める

 

メンター達は はっきりした答えがあるかのように

我こそは 1番優秀で正しいかのように

いつも断定的な 話し方で

”迷える羊” をバカにする

 

 

 

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