中世ヨーロッパ12世紀〜13世紀ごろ出現したキリスト教の異端・カタリ派について。
名前の由来
「カタリ」の語源
説1:ギリシア語の 「カタロス(純粋な)」
彼らが極端な禁欲主義だったためにそう呼ばれた説
説2:ラテン語の 「カトゥス(猫)」
悪魔の使いとしての意味をもつ「猫」
当時 ”正統な”教会勢力からすると カタリ派は異端であり脅威であったためにそう呼ばれた説
カタリ派の教義
経典
旧約聖書を否定し 新約聖書とその外典(Apocrypha)のみを用いた。
善悪二元論
「神 善 霊魂」 と 「悪魔 悪 肉体」 2つの拮抗する原理で世界を表す思想。
古くはゾロアスター教やマニ教も。
カタリ派は
旧約聖書の天地創造が 神によるものでは無い という説を唱えた。
「そもそも 私達の住むこの世界は 悪魔によって創りだされた」
昔々
天上界で 悪魔が神に戦いを挑み 敗れた。
悪魔は 彼に誘惑され味方となった天使達とともに堕天。
この物質地上世界を創り 彼は この世界の「神」となった。
彼に付き従った天使達は 彼によって 人間の体に閉じ込められた。
つまり 人間の魂にあたる部分が 天使である。
輪廻転生
人間の体に閉じ込められた魂は
この世で悪から遠ざかり 清浄な存在とならなければ
再び 天上界に帰ることはできない。
そうでない限り 閉じ込められた魂は
この世界でまた 他の人間や動物の体に 閉じ込められる。
完全者
カタリ派の主要構成員となる 聖職者のことを「完全者」と呼び
その「完全者」の周りに付き従う一般信徒のことを「帰依者」と呼んだ。
「完全者」は 決して 現世の肉欲的欲望に屈してはならず
特に 性交と肉食 は絶対に避けるべき悪であった。
彼らは 各週3日間 断食し
年に3回 長い断食期間があり
昼と夜 それぞれ7度 祈りを捧げた。
「完全者」になるには 長く厳格な修行に耐え
他の同性の「完全者」から 救慰礼(Consolamentum)を受けなければならない。
「帰依者」には特に厳格な禁忌は無く
「完全者」の食事や衣服 住居などの生活を支え 彼らの説教を聴いた。
秘密の礼拝
集会は月に1度 やがて日曜日ごとにおこなわれるようになった。
大抵は 夜
信徒の家の納屋や地下室 森の中など 人目につかない場所でおこなわれた。
時には カトリックの教会堂でも 秘密裏におこなわれていた。
敵対勢力【正統派キリスト教・カトリック教会】
ドミニコ会
カトリック教皇側のドミニコによって組織された カタリ派撲滅の説教をおこなう修道士会。
カタリ派の完全者と同じく 無所有と断食生活をおこないながら カタリ派の誤った教えを断罪した。
のちに 多くの異端審問官を輩出。
アルビジョア十字軍
カタリ派撲滅のため カトリック教皇側に召集された十字軍。
1209年 南フランスのベジエで カタリ派を引き渡すように命じたが 住民が拒否したため
カタリ派であるかないかを問わず 全住民 約3万人を虐殺。
町は2日間燃え続けた。
これにより カタリ派は表舞台から姿を消したが 地下で抵抗運動は続けられ
ピレネー山麓の難攻不落の要塞モンセギュールへ移り住んだ。
1243年5月 教会側が十字軍を派遣。
1244年3月16日 籠城していたカタリ派は火刑に処され
モンセギュールの陥落とともに カタリ派運動は終息した。
火刑
火刑によって異端者の邪悪な魂を消滅させることができると信じられていたため
異端の処刑法として最も良いとされた。
異端者は火刑に処された後 遺灰は川などに投げ捨てられた。
これは 異端者についての記憶を抹消し
その存在自体を 無かったことにするためである。
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